イオンを膜に当てると、何が起きるのか。どこまでを入射エネルギーで制御できるのか。
答えは 3 つへ割れます。表面の原子だけが動く。内部の原子まで弾き出される。膜全体の性質が動く。
最初の 2 つは、入射エネルギーで切り替わります。数 eV から数十 eV のあいだは表面だけ、そこを超えると内部が壊れ始める。境目は材料ごとに決まっていて、昇華熱のおよそ 5 倍です。Si なら 22 eV。
問題は 3 つめです。膜の密度、応力、取り込まれたガス量——これらはイオン 1 個のエネルギーでは変わりません。切り替えているのは、膜原子 1 個あたりに投入されたエネルギー、すなわちイオン束とイオンエネルギーの積を成膜レートで割った量です。
証拠が 1 つあります。Ar+ を当てながら Ge を蒸着すると、膜密度は最初、結晶 Ge の値へ近づいていき、あるところで約 7 % 急落します。落ちる点は 18 eV/原子。イオンエネルギーを 15 eV から 600 eV まで 40 倍変えても、この 18 eV は変わりません。
「イオンエネルギーを下げれば安全」という設計は、2 階層目までで打ち止めです。
なぜイオンだけが特別なのか
電子でも光子でも膜は叩けます。それでもイオンだけが膜構造を作り変えるのは、質量が同じ桁だからです。
この枠組みは古く、放射線による固体中の原子の変位を体系だってまとめた総説1が土台にあります。正面衝突の弾性散乱で、静止している標的原子へ渡る運動エネルギー(反跳エネルギー、)は、入射エネルギー に対して
10 keV の電子が Ni 原子を叩く場合を入れてみます。 kg、 kg/u。 なので 、よって eV。Ni 原子を少し温めるだけで、格子から追い飛ばすには遠く及ばず。光子はもっと低い。
いっぽう なら 、全部渡ります。この効率のよさが、イオン照射の効果すべての出発点です。
「質量比が 2 倍以内なら 0.9 以上」を自分で確かめる
「質量が互いに 2 倍以内なら 」という目安があります。式から確かめられます。
質量比 とおくと 。 を解くと
約 1.9 倍以内。「2 倍以内」は正しい丸め方です。
この式には、あとで効いてくる性質があります。 は と を入れ替えても値は変わりません。完全に対称です。A が B を叩くときと B が A を叩くときで、渡るエネルギーの割合は同じ。この対称性は、Mo/Si 多層膜の話で使います。
エネルギー領域と起きることの対応は、こうなります。
| 入射エネルギー | 起きること |
|---|---|
| 数 eV | 表面のサイトを1つ隣へ動かす。分子イオンを反応性の断片へ割る |
| 数十 eV | 表面原子を内部へ押し込む。表面近くの原子を気相へ叩き飛ばす(=スパッタ) |
| それ以上 | 侵入して打ち込まれ、経路上の原子へエネルギーを渡し続ける |
数 eV から数十 eV のあいだに、表面は組み替えるが内部を無傷のまま保つ窓があります。エピタキシャル成長でこの窓が特に有用なのは、成長のふるまいを変えながら内部を無傷のまま保てるからです。
1階層目:数 eV から数十 eV
まず、当たったイオンがどうなるか
この階層の実測は、表面欠陥の側から入るのが分かりやすい。Pt(111) 上でイオン照射が作った欠陥が、どういう機構で焼鈍されるかを調べた 1990 年の論文2が、この節の表面点欠陥のふるまいを主題にしています。
膜への影響を追う前に、イオン自身の行き先を数えます。高いエネルギーでも有限の確率で跳ね返ります。
の正面衝突なら、運動量保存から進行方向が反転するので、表面のポテンシャル井戸から脱出できるだけのエネルギーが残っていれば気相へ戻る。斜めの衝突ならもっと残る。もっと角度の小さい衝突なら固体へ入り、結晶方位に沿ったチャネリング方向に揃っていれば、揃わない場合よりずっと深く潜ります。
Ar+ が広く使われるのは、不活性で、高純度でも安く、質量 40 u が効率のよいエネルギー移動に十分だからです。TRIM 計算によると、 では反射率 がかなり高い。 では が急落します。多重のかすめ衝突による反射の確率が低いからです。
ここが実務で乗ります。反射したイオンは電子を1個引き抜いて中性になります。だから電界の影響を受けません。ターゲットで跳ね返った高速中性粒子が、そのまま成膜中の膜を叩き、損傷させ、打ち込まれる。
対策は 1 つだけです。 になるスパッタガスを選ぶ。Kr と Xe が該当します。非常に高価ですが、化学的に活性な背景ガスだけを除くポンプを使えば消費を抑えられる。昇華またはスパッタで連続的に堆積している Ti 膜が、その選択的なポンプとして働きます。
エネルギー付与の測定も残っています。Pt(111) に 15 eV までの希ガス原子、Au 多結晶に 15 eV 以上の希ガスイオンを当てた熱量測定です。15 eV でデータが滑らかにつながることが、イオンと原子の等価性を示しています。ここで「イオン照射」と言うとき、高速の原子や分子も含むのはこのためです。
読み取れることが 2 つあります。
- He は 0.6 eV から、付与エネルギーが を超えます。つまり 0.6 eV で Pt に潜り込む
- Xe は 60 eV 未満で、付与エネルギーが の手前で止まります。実効的な標的質量が Au 原子より大きいということ
Xe が「大きすぎる」理由も 2 つ書かれています。大きいので複数の表面原子と同時に相互作用する。遅い衝突なので、表面原子の反跳変位が隣の原子に邪魔されるほど大きくなる。
表面で起きる 9 通り
イオンが表面原子に対してできることは、9 通りに並びます。
| 記号 | 起きること | 内部を巻き込むか |
|---|---|---|
| a | 吸着物の脱離、または化学的な活性化 | いいえ |
| b | 横方向の変位 | いいえ |
| c | スパッタによる表面空孔の生成 | はい |
| d | アドアトム位置への変位による表面空孔 | はい |
| e | 不純物原子のノックオン打ち込み | はい |
| f | 膜原子のノックオン打ち込み | はい |
| g | 表面移動度の増加による窪みの埋まり | いいえ |
| h | 前方スパッタによる窪みの埋まり | いいえ |
| i | 3次元核の破壊 | いいえ |
a が基板洗浄です。低エネルギー不活性ガスイオンで吸着物を叩き落とす。ただしエネルギーを上げすぎると、c〜f が始まって単結晶基板が劣化し、不純物自身が前方反跳で打ち込まれてしまいます(e)。だから洗浄でもエネルギー制御が要る。
洗浄効率は吸着結合が強いほど落ちます。基板の原子と反応する分子の場合、脱離と、分子が受け取ったエネルギーで解離して基板と反応するのとが、競合します。貴金属以外の金属基板から水・CO₂・炭化水素を落としきるのが難しいのは、酸化物や炭化物の生成が競合するからです。
g と h が、膜構造を動かす中心です。数 eV を超える運動エネルギーで膜材料が凝縮すると(あるいは低エネルギーの熱源からの成膜に不活性イオン照射を足すと)、Zone 1 の微小柱状構造がもつ空隙が、生成しながら潰れていきます。構造が緻密な Zone T へ移る。
このとき応力が特徴的に動きます。
- 空隙が縮むと、縮む隙間をまたぐ原子間引力で引張応力が強まる
- 完全な密度に近づくと引張が弱まる
- 打ち込みが起きる領域では、緩和距離より近い間隔で原子が埋め込まれるので圧縮になる
i が異種材料エピタキシーの planarization です。熱力学的に 3 次元核を作りたがる系で、低エネルギーイオンが生まれかけの 3D 核を不安定化して壊します。GaAs を Si(100) 上に MBE 成長させる系で確かめられました。
同じ系列の InAs/Si(100) で、X 線ロッキングカーブによる結晶完全性が約 30 eV で明確な最大を示します。それ以下では 3D 成長を抑えきれず、それ以上では内部に損傷が入る。プラズマイオン源の電位を正確に定めるのは難しいので実際の最適値はずれるかもしれぬが、窓が存在すること自体は明確に示されています。
エネルギーだけでなく束も乗ります。この研究では常にイオン束が膜原子の堆積束より大きく、この関係が工程設計の指針として良さそうだ、とされています。
「イオンで表面拡散が伸びる」の実際
イオン照射が表面拡散を促進し、拡散長が原子間距離の何桁も上になる——とよく言われます。これははっきり否定されています。
区別は運動が続くかどうかです。
熱的なアドアトム運動は続きます。少なくとも次の層に埋められるまでは続くので、拡散長は 1 単分子層あたりの成長時間とともに伸びる。
イオンで与えられた運動は、余剰エネルギーが表面へ散逸した瞬間に止まります。
数字が出ています。300 K の Ag(111) に 10 eV の Ag 原子が堆積する 3 次元分子動力学計算で、到着してから格子サイトに落ち着くまでに動いた距離は平均 0.44 nm。原子間距離の 2 つ分程度です。
では観測されている平滑化は何かというと、粗さのピークから原子を叩き落としているほう(前ページの表の i)でした。GaAs/Si の系でも、拡散が促進されていたなら 3D 核が平衡へ向かう速度が上がるはずで、観測は逆でした。低温 Si スパッタエピタキシーの系では、臨界エピタキシャル膜厚の温度依存性が熱成膜より急でした。イオン誘起の表面拡散が支配的なら、温度依存性はもっと弱いはずです。
散逸が速い理由も物理で筋が通ります。表面ポテンシャルは横方向に急峻な凹凸を持つので、通り過ぎるアドアトムは表面原子 1 個ごとに衝突しているようなものです。長い拡散長が期待できるのは、小さい原子の最密面に、非常に弱く結合したアドアトムが乗っている場合——たとえばグラファイト上の Au——くらい。
報告されている表面効果はすべて、原子間距離の数個ぶんの短距離運動で筋が通る、というのが結論です。
表面の点欠陥は、温度が味方する
最後の表面効果が固有点欠陥、つまり表面空孔とアドアトムです。厳密には内部を巻き込むので純粋な表面効果とは別ですが、切り分けが別です。
エネルギーが過大でなく、基板温度が十分なら、イオンが作る内部欠陥は生成より速く焼鈍で消えます。熱的な移動度があるからです。表面にできた、あるいは表面へ拡散してきた点欠陥は、内部の点欠陥よりずっと動きやすい。
2 つ数字があります。
- Pt(111) では、表面空孔が約 700 K 以上で空孔島へ凝集します。融点の 3 分の 1 どまりです
- MgO(100) 上の TiN スパッタエピタキシーで、最大 500 V の負基板バイアスをかける。表面温度 920 K では 300 V のバイアスが転位ループ密度の最小を作り、無バイアスの 30 分の 1 になりました
2 つめには但し書きが付きます。より低温では、ループ密度はバイアスとともに単調に増加した。920 K での改善は、表面点欠陥が生まれかけの転位ループの場所まで拡散して消滅できたためだとされています。
イオン照射は表面点欠陥の数を増やしているだけで、それを動かしているのは基板温度です。同じバイアスが、温度によって薬にも毒にもなる。
2階層目:昇華熱の 5 倍から、内部が壊れる
しきい値は 2 種類ある
内部へ入ったイオンが何個の原子を弾き飛ばすかは、放射線による固体中の原子の変位を追った総説1の枠組みで数えます。表面の変位と内部の変位をどう切り分けるかは、イオンが誘起する表面変位と内部変位の配分を追った 1989 年の論文90690-3)が題名のまま主題にしています。
数十 eV を超えると粒子が内部へ侵入します。ここで区別すべきしきい値が 2 つあります。イオンが表面下へ入るしきい値と、Frenkel 対(空孔+格子間原子)を作るしきい値です。
侵入しきい値は「イオンの大きさ」で決まります。主因は原子番号 とともにイオンが大きくなること。多結晶 W へのガス捕獲(検出限界は 10⁻⁵ 程度)と、Au/Pt へのエネルギー付与から求めた 2 系列とも、 は に比例して増え、最小のイオンではゼロへ向かいます。
だから He+ と H₂+ は、エネルギー増強プロセスにいれば必ず入ります。膜への閉じ込めが困るなら、小さいイオンを避ける一手だけです。
2 系列で が大きく別なのは金属の差より、測っているものの差です。高いほうは捕獲、低いほうは侵入。侵入しても捕獲されるとは限りません。捕獲量は膜温度が上がるほど、成膜レートが下がるほど減ります。どちらも外方拡散を助けるからです。チャネリング方向に沿った照射では逆に増えます。
変位しきい値は、逆のふるまいをします。小さく軽いイオンは変位を起こさずに侵入でき、大きく重いイオンは自分が留まったまま表面のノックオン原子だけで内部に空孔を作れる。主たる決定因子は個々の原子へ渡るエネルギーの割合 なので、しきい値は で最小になり、軽くても重くても上がります。
ここから重要な結論が出ます。侵入も内部変位も起こさずに表面原子だけを動かしたいなら、最も広いエネルギー窓を与えるのは Xe+ のような非常に重いイオンです。侵入しきい値は とともに上がり、変位しきい値も質量が離れるほど上がるので、2 つのしきい値が同時に上へ動く。
22 eV の内訳
もう 1 つの決定因子が、原子が格子サイトに繋ぎ止められている結合エネルギーです。これは昇華熱 にほぼ比例します。 が便利なのは、気相と固相の生成熱の差として熱力学データ表からすぐ得られるからです。
30 元素について変位しきい値 を に対してプロットすると、
ばらつきの原因として、格子の「開き具合」と弾性率(剛性)が挙げられています。押し込まれた原子が割り込む先の性質です。
Si では eV。内訳が書かれていて、ここが面白いところです。
| 項目 | エネルギー |
|---|---|
| 空孔の生成エネルギー | 約 4 eV |
| 自己格子間原子の生成エネルギー | 約 4 eV |
| 格子間原子の移動の活性化エネルギー | 約 0.2 eV |
| 残り:対が自発再結合を起こさぬ距離まで引き離す | 14 eV |
22 eV のうち 14 eV、つまり 6 割強が「作る」ためより「離す」ために使われています。空孔と格子間原子はそれぞれ局所ひずみ場を持ち、格子間原子は空孔のポテンシャル井戸へ引き戻される。そこから脱出させるぶんです。
裏取りもあります。10 eV の Si 原子と Ag 原子を自分自身の格子へ当てる分子動力学計算では、安定な空孔は生まれずに済みました。22 eV というしきい値と整合します。
1 keV の Ar は、Ni の中を 2.6 nm で止まる
飛程は、イオン照射のなかで最もよく分かっている量です。原子間距離の数個ぶんより深ければ、LSS 理論で約 10 % 以内に推定できる。
は原子数密度、 は原子核どうしの反発による核阻止能、 は固体中の電子雲による電子阻止能。成膜の数 keV 以下では が よりずっと大きいので、問題は の推定に絞られます。
を求めるには、イオンと原子の 2 体衝突を書き下す必要があります。全電子を剥がした裸の核どうしならクーロン則ですが、実際は両方の原子の電子が遮蔽するので、無次元の遮蔽関数 を掛けます。
は遮蔽半径。この遮蔽クーロン衝突が、高速のイオンや原子どうしの相互作用を記述する基本モデルです。剛体球衝突なら平均球径でポテンシャルが 0 から無限大へ立ち上がるのに対し、こちらは連続的に立ち上がる。
遮蔽関数の係数は、和が 1 になる
遮蔽関数 は 4 本の指数関数の和で書かれます。
この 4 つの係数には、物理から来る拘束が 1 本あります。
の極限では、遮蔽している電子は衝突する 2 つの核の「あいだ」に存在しなくなるので、ポテンシャルは裸のクーロン則へ戻ります。つまり 。指数関数はすべて で 1 なので、
係数の和は厳密に 1 です。実際、
この式を書き写したり、係数を文献から拾ったりするときは、まず和を取ってください。1 からずれていれば、どこかの桁が別です。規格化条件を持っている量は、それ自体が検算になります。
具体値を入れます。1 keV の Ar+ が Ni を叩く場合。
( で確かに 0.96)、遮蔽半径 nm、換算エネルギー 、そこから eV·nm²/atom。結晶 Ni の atoms/nm³ を掛けて
1 nm 進むごとに 650 eV 失う。1 keV どまりなので、単純に割れば 1.5 nm です。実際の LSS 計算値は 1 keV でほとんどのイオン・原子の組で 2.6 ± 1 nm、2 keV で 4.1 ± 2 nm。単純割り算より長いのは、エネルギーが下がると も下がるからで、向きが合っています。
桁が別なのは H+ です。小さいうえに 1 回の衝突で渡すエネルギーが小さいので、1 keV と 2 keV で Si 中 20 nm と 36 nm、Ni 中 7 nm と 14 nm。
つまり数 keV 以下では、軽いイオンとチャネリング方向を除けば、エネルギーのほとんどが原子間距離の数個ぶんで落ちます。これが「表面近傍だけが動く」の物理的な中身です。
空孔は何個できるか
なら、Frenkel 対の個数はこう見積もれます。
一次ノックオン原子(PK)がエネルギー を持つとき、さらに 1 個変位させるには、相手を弾く と、自分が新しくできた空孔から出るための で、 が要る。 なら置換衝突になって空孔を埋めるだけ。 なら格子間位置で止まる。
高エネルギーでは PK 1 個あたり 個の対ができる(Kinchin-Pease)。輸送理論からの補正係数 0.8 と、電子阻止への損失を入れると
Si と Ge の実験では、換算エネルギー で 。1 keV、 eV を入れると
示されている値 19.9 と一致します。TRIM の Si+ → Si は 18。よく合っています。
ところが H+ → Si は 1.1 どまりです。式は質量比から自由なのに、実際は 16 分の 1 以下。理由は eV が eV に近すぎるからです。式は「 の全部が変位した原子に吸収される」と仮定しているので、しきい値近傍では破綻する。
このズレ自体が使えます。H+ の空孔生成しきい値が約 120 eV だったので、 eV。Si+ の場合()に観測された値と同じ。2 つの全く別なイオンから、同じ が出る。ただしこの 16 eV は、30 元素のプロットが Si に与える 22 eV より少し低い。変位計算の精度は、常に をどれだけ正確に知っているかで頭打ちになります。
深さ分布にも差が出ます。H+ が単位深さあたりに作る空孔は Si+ の 2 % ですが、5 倍深くまで分布します。どちらも H+ の阻止能が低いことから来ます。 が へ近づくにつれ、空孔分布は表面の側へ移る。格子間原子も同じ向きに動きますが、前方への正味の変位があるぶん、常に空孔より少し深く分布します。
ここから面白い予想が立ちます。「格子間原子だけが作られる 」があるはずで、それが報告されている「バルク結晶より密度が高い膜」の出どころかもしれない。
3階層目:ここでエネルギー依存が切れる
打ち込みと変位が膜に何をするか。ここからは膜全体の性質の話で、切り替えているつまみが替わります。イオン照射が膜の微細組織と特性をどう動かすかの実測としては、反応性バイアスマグネトロンスパッタで作った多結晶 TiN 膜について、イオン照射の効果を調べた 1992 年の論文3があります。バイアスでイオンのエネルギーと束を振って、膜の側で何が動くかを追ったものです。
取り込まれるガス
スパッタガスや背景ガスの打ち込みは、たいてい望ましくありません。格子を歪め、圧縮応力を与え、抵抗率を上げ、後で加熱したときに外へ拡散して、上に膜が載っていれば界面にガス泡を作ります。
量は数 at.% に達しうる。減らす手は 3 つ。
- を選ぶ(ターゲットからのイオン反射を減らす)
- 基板温度 を上げる(成膜中の外方拡散を活性化する)
- 打ち込み深さを浅く、成膜レートを低くする(打ち込み分率は逆に深さとレートが大きいほど増えるので、望むときは逆に振る)
外方拡散の速度は、 での通常の拡散係数から予想される値よりずっと速くなります。照射で余分な空孔ができているので、 が放射線増速拡散を受けるからです。
反応性のイオンは別です。膜と安定な化合物を作るものは膜へ居着きます。だからエネルギー増強プロセスでは、ありふれた背景ガスによる汚染リスクが上がります。逆手に取れば、Ti と N₂+ から TiN のように化合物膜を作れ、平衡では得られない組成へ寄せられます。
混ざる深さ
界面をまたぐイオン混合の深さは、界面から (そこでのイオン残存エネルギーから渡せる最大値)で打ち出されたノックオン原子の飛程として概算が立ちます。
が 1 近いイオンで 1 keV なら、最初の数層が基板へ約 3 nm 混ざります。前節の飛程 2.6 ± 1 nm から直接来る数字です。吸着不純物も同じように混ぜ込まれる(スパッタで残った分は)。
膜と基板の界面が混ざることも、あいだにいた吸着物が分散することも、密着性を大きく助けます。数 keV 以上で熱スパイクが出る領域では、局所的な高温が混合の Gibbs 自由エネルギーを一瞬だけ駆動力として立ち上げるので、混合はさらに進みます。
逆に、原子レベルで急峻な界面が要るエピタキシャル用途では、 に抑える一手だけです。格子間原子は拡散係数が高いことが多く、高温では表面近傍から深部へ潜っていきます。
熱スパイクの中身も 1 つ数字が出ています。Cu と Ni の中で 5 keV の一次ノックオン原子が起こす衝突カスケードの分子動力学計算で、コアに約 4000 K の熱スパイクができ、コアが溶けました。損傷の形はコアに空孔が過剰、その周りのシェルに格子間原子が過剰。コアから原子が叩き出されるのだから当然の形で、低エネルギーのカスケードでも一般的な特徴だと期待される、とされています。
数字は、独立な量と突き合わせてから使う
同じ分子動力学の記述には、カスケードが落ち着いたあとの原子の rms 変位も載っています。ところがこの種の値は、単独で見ても妥当かどうかは判断できません。
判断の材料は、同じ系から出る独立な量のほうにあります。1 keV の Ar が Ni の中で 650 eV/nm を失って 2.6 nm で止まるのだから、5 keV の一次ノックオン原子でもカスケードの広がりはせいぜい数 nm です。カスケードの寸法より原子の変位のほうが大きい、という数字が出てきたら、その数字を使う手前で止まります。
手順としてはこれが標準です。その数字だけを見て妥当そうか判断するより、同じ系から出る独立な量と並べて確かめる。飛程 2.6 nm、 650 eV/nm、混合深さ 3 nm——この 3 つは互いに整合しています。整合の輪の外にある数字は、輪の中の数字より弱い。
圧縮応力:成膜レートが分母にいる
格子間原子が作る 2 つめの効果が圧縮応力、いわゆるイオンピーニングです。格子サイトのあいだに原子が楔として入り、周りの原子を押し広げる。格子は膨らみたいが、基板に結合した膜は横(, )に膨らむ先が無いので、二軸の圧縮応力になります。
が格子間サイトへ入れられた原子の割合に比例すると仮定すると、
は比例定数、 はイオン 1 個あたりの格子間原子数、 はイオン束、 と はヤング率とポアソン比、 はモル濃度、 は成膜レートです。分母の は、堆積束 そのものです。
この式でいちばん実務的な項は分母の です。イオン種が膜材料そのものと別な場合(スパッタガスの Ar+、補助イオン銃)、成膜レートを下げるだけで圧縮が強まります。イオンエネルギーも束も変えていないのに。
に何が入るかも列挙されています。
| 供給源 | 中身 |
|---|---|
| 膜材料そのもの | レーザーアブレーションとカソーディックアークでは、 の大半が格子間原子を作るエネルギーを持つ |
| スパッタ粒子の高エネルギー裾 | スパッタ堆積では の一部だけ。その割合はターゲット材料の変位しきい値におおむね比例する |
| ターゲットで中性化した反射ガスイオン | で急増するので、その条件では膜の圧縮を支配する可能性が高い |
| 負イオン | O のような電気陰性元素があると、ターゲット表面で負イオンができ、ターゲットのバイアス電位(−500 eV 程度)に近いエネルギーまで加速されてプラズマを横断し、膜を叩く |
| 基板バイアス | 電子ビーム蒸着とアーク蒸着では膜材料のイオン、スパッタではスパッタガス(通常 Ar+)が加速される。絶縁膜・絶縁基板なら rf バイアス |
が、この式でいちばん見積もりにくい因子です。TRIM 計算が Kinchin-Pease 式より好まれますが、スパッタ原子のようにさらにエネルギーが低い領域では、両者の前提である 2 体衝突モデル自体が成り立たず、分子動力学が要る。 には変位した膜原子だけでなく、膜に捕われたまま残った Ar のような不純物も入れることになります。
モデルが未完成なことも書かれています。イオンビームスパッタで成膜レートを一定にした研究では、幅広い金属と化合物にわたって が成り立ちました。ところがこれは、その材料の範囲で が一定だったことを意味するので、驚くべき相関です。同じ研究が引く別のデータは、式が予測する とは別のべき乗を示しています。
応力を動かす別の要因も並列にあります。化合物形成反応は応力を増やし、降伏点を超えると塑性流動による緩和が応力を減らします。
圧縮が 、、 とともに増えるという大量のデータはある。関数形と定量化はまだ途中です。使えるのは傾向だけで、値までは予測できません。
最後に上限があります。圧縮が強すぎれば、基板の反り、剥離などが起きます。
相まで替わる
イオン照射は、熱成膜では得られない準安定相も作ります。III-V 族と IV 族の合金、六方晶より立方晶の BN、そして非晶質相。
非晶質化には定量的なしきい値があります。100〜5000 eV の Ar+ を当てた Si と Ge の結晶表面の電子分光で、付与エネルギー密度がある臨界値を超えると非晶質化しました。値は Si で 12 eV/原子、Ge で 14 eV/原子。
この記事の主張そのものが、Ge の密度測定にあります。
熱蒸着した Ge に成膜中の Ar+ 照射を加え、エリプソメトリで膜密度 を求めた研究です。
- 最初、 が増えるにつれて が結晶 Ge の値へ向かって上がる(Zone 1 の微小空隙が潰れる)
- eV で、 が約 7 % 突然落ちる
- この落ちる点は、イオンエネルギーを 15 eV から 600 eV まで変えても変わらない
18 eV というのは、堆積してくる Ge 原子を 1 個残らず変位させるのに必要なエネルギーとほぼ同じ値です( のプロットから)。微結晶から非晶質への相変化が起きて密度が下がった、と読めます。ここには「まだ研究が要る」という留保が付いています。
それでも、この実験が示している構造は変わりません。イオンエネルギーが 40 倍動いても崖の位置が変わらないということは、崖を左右しているのは より だということです。
イオンエネルギーを 15 eV に下げれば「表面だけの窓」に入るので 2 階層目は避けられます。ところが束を上げるか成膜レートを下げれば、3 階層目の崖は同じ場所で待っています。
そして、ほとんどは熱になる
打ち込みと変位が大事だと延々書いたあとで、締めはこうです。膜の中で止まるまでにイオンが失うエネルギーの大半は、最終的に熱になります。
しかもこの熱入力は、膜材料の凝縮熱よりはるかに大きいことが多い。基板から温調ステージへの熱接触が悪ければ——たいてい悪いので——基板温度の制御が深刻な問題になります。
だからエネルギー増強成膜の論文でステージ温度だけが報告されているとき、基板温度は数百度高かったかもしれない、と疑う必要があります。
基板側の損傷が役に立つ例も 1 つ。100 keV の P+ や As+ で予め損傷させ、埋め込まれた損傷層が出るまでエッチングした Si(100) 基板は、ダイヤモンド成膜の核形成密度が上がります。ダイヤモンドは核形成が最大の難所なので、これは使える。イオンが作った表面欠陥がエネルギー的に有利な核形成サイトとして働く、という一般則の一例です。
2026 年の量産が、1階層目を狙って3階層目を踏んでいる
ここまでは 1950 年代から 1990 年代にかけて固まった物理です。同じ 3 階層が、サブミクロンピッチのハイブリッドボンディングでそのまま出てきます。
Cu/SiCN ハイブリッドボンディングでは、接合前にプラズマで表面を活性化します。目当ては 1 階層目そのもの——吸着物を落とし、ダングリングボンドを作り、室温で貼り付くようにする。エネルギーは表面だけを組み替える窓へ収めたい。
ところが、ハイブリッドボンディングの品質を上げる前処理と接合条件の役割を追った 2025 年の報告4が、こう書いています。プラズマ処理中に、プラズマ源からのイオン照射によって Cu が再スパッタされることがある。パッドピッチが非常に小さいと、再スパッタされた原子が誘電体層の上に電気的な経路を作り、回路を短絡させうる。前洗浄とプラズマ照射が接合へどう乗るかは、2010 年の論文5が早くから追っています。
1 階層目を目当てにした照射が、スパッタというしきい値のさらに上の現象を起こし、その堆積物が 3 階層目——膜全体の性質——を壊しています。しかも壊し方がピッチ依存です。パッド間隔が広ければ、飛んだ Cu は届く前に薄まる。ピッチが縮むと、条件表を 1 行も替えないまま、同じ量の再スパッタが致命的になる。
ガス種の比較も出ています。N₂ と O₂ の 2 つ。
| O₂ プラズマ | N₂ プラズマ | |
|---|---|---|
| SiCN-SiCN 接合強度 | 1.65 J/m² | 1.80 J/m² |
| SiCN 表面の酸化 | 多い | わずか |
| Cu-Cu 界面(EDS) | 酸化層が生成 | 酸化層なし |
| 分子動力学での結合数の偏差 | — | 小さい |
注記が付いています。誘電体表面の酸化と接合強度は、別々に動きます。SiCN 表面の酸化量から筋を引こうとすると途中で切れます。
上で立てた枠組みで受け取ると、この表は素直です。O₂ は反応性イオンで、膜と安定な化合物を作るので膜へ居着きます。打ち込まれた O は Cu-Cu 界面に酸化層として残る。N₂ も反応性ですが、SiCN はもともと N を含む膜なので、入っても組成のずれが小さい。分子動力学で「結合数の偏差が小さい」と出ているのは、そういうことだと読めます。
ダングリングボンドを作るという目的だけを見て 1 階層目に留まっていると、この差は表に出てきません。ダングリングボンドの数と接合強度が逆を向くという観察も、同じ形をしています。表面の活性種の数を最大化する条件と、良い接合を作る条件が別物なのは、照射の届く先が表面より広いからです。
40 層の Mo/Si が、界面混合の実物になっている
もう 1 つ、この 3 階層が丸ごと出てくる場所があります。EUV の Mo/Si 多層膜反射鏡です。
13.5 nm では単一界面から高い反射率は 1 枚では届かぬので、高 材料と低 材料を交互に積み、各界面の小さな反射を積み上げます。反射率は約 40 対で飽和するので、露光装置の照明・投影光学系、マスクブランク、集光鏡は 40 対で作られてきました(40 対で 74.5 %、60 対で 75.3 % という測定があり、走査機の光学系では 40 対を超えるものも増えています)。
Mo/Si 多層膜にバリア層を挟んだときの微細組織を調べた 2002 年の論文6が書いているのが、そのまま前節の界面混合の話です。
透過型電子顕微鏡が示しているのは、Mo と Si の境目が実際の成膜では鈍るということ。純粋な Mo 層と純粋な Si 層のあいだに、両者が混ざった層がある。混ざり具合は成膜条件で決まり、しかも「Mo の上に Si を積む場合」と「Si の上に Mo を積む場合」で別になる。
この非対称は、 の外から来ています。
この式は と の入れ替えについて完全に対称です。Si が Mo を叩こうと Mo が Si を叩こうと、渡るエネルギーの割合は同じ。だから、渡すエネルギーの割合以外の項が効いているはずです。
対称を崩す項は 2 つだけです。
- 標的の阻止能。 の は標的の原子数密度で、Mo と Si で別。密度の低い標的のほうが、同じエネルギーでも深くまで届く
- 標的の変位しきい値 。Si は 22 eV。同じプロットで Mo は Si よりはるかに上に位置します
両方とも「柔らかい Si 側のほうが混ざりやすい」向きに乗ります。出典は方向を伏せているので言い切りは避けますが、非対称が出ること自体は上の枠組みから予測できる、というのがここでの主張です。
熱の側の数字も並んでいます。Mo/Si は約 150 °C から相互拡散を始めます。Mo₂C/Si なら 600 °C 近くまで安定で、ピーク反射率は 66.8 %(高品質の Mo/Si は 68.6 %)。Mo と Si のあいだに B₄C を挟むと 13.5 nm で 70 % が得られています。
ここで、前節の放射線増速拡散が効いてきます。150 °C は「熱だけで測ったとき」の値です。成膜中は照射で余分な空孔ができていて、 が上がっている。成膜温度が 150 °C より低くても、界面はその瞬間に混ざっています。混合層が「成膜条件で決まる」と書かれているのは、そういうことです。
反射率のわずかな差が乗る理由が、光路の長さです。投影光学系 6 枚、照明系 3 枚、反射マスク 1 枚で光は 10 回反射します。各段 70 % の系は、各段 68 % の系より 33 % 多くの光をウェーハ面へ届けます。鏡を 1 枚足すと光が 3 割消えるという関係の裏返しで、鏡の枚数が変わらないなら 1 枚あたりの反射率を上げるしかなく、その上げしろが界面混合に食われています。
混合層は反射率のピークを下げるだけでなく、ピーク波長もずらします。高温にさらされる膜は使う前にアニールして、ピーク波長を目標値へ引き直しておく、という運用まで書かれています。
「界面を数 nm 混ぜると密着性が上がる」は前節の結論でした。同じ数 nm が、40 層の反射鏡では反射率を削っています。どちらも正しく、左右しているのは何を作りたいかです。
実務での使い方
イオンエネルギーの仕様を書くときは、2 つのしきい値の間に収めてください。下は表面を動かすのに要る数 eV、上は (1955 年の総説1が立てた変位しきい値の枠組みから来ます)。Si なら 22 eV、材料が違えば昇華熱の 5 倍で動きます。InAs/Si(100) の 30 eV は「たまたま」の一致とは別です。
表面だけを触りたいなら重いイオンを選んでください。侵入しきい値は に比例して上がり、変位しきい値は質量が離れるほど上がるので、Xe+ で窓がいちばん広くなります。逆に He+ と H₂+ は、どんな条件でも入ります。
「イオンで表面拡散が伸びる」を前提にした設計は避けてください。10 eV の Ag が Ag(111) 上で動くのは 0.44 nm です。効いているのは粗さのピークを削る短距離の変位で、拡散長とは別の量です。
エネルギーを下げても、3 階層目が待っています。左右しているのは です。同じイオンエネルギーで成膜レートを半分にしたら、応力も密度も別のプロセスになります。装置条件表に成膜レートが書いてあるだけで応力を語っているなら、束の欄が抜けています。
反射した中性粒子は電界の影響を受けません。ターゲットからの高速中性粒子が問題なら、 のガスへ替える一手だけ。Kr と Xe は高価ですが、選択的なポンプで消費を抑える手があります。
背景ガスの汚染感度が、熱成膜より高くなります。反応性のイオンは打ち込まれたら膜へ居着きます。エネルギー増強プロセスでは、真空側の仕様を熱成膜より厳しく取ることになります。
基板温度は、ステージ温度より高い側です。入れたエネルギーの大半は熱です。数百度ずれている可能性があります。
拾ってきた数字は、同じ系から出る独立な量と突き合わせてから使ってください。飛程 2.6 nm、 650 eV/nm、混合深さ 3 nm は互いに整合しています。整合の輪の外にある数字は、輪の中の数字より弱い。