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講座集 / 薄膜成膜の物理と化学 / 第 11 回

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VOL.03 薄膜成膜の物理と化学 第 11 回 / 全 19 回

吸着と表面拡散:拡散距離は再蒸発の直前で最大になる

成膜中に原子が表面をどれだけ動けるかは、吸着の強さで 8 万倍も変わり、温度を上げても再蒸発が始まる手前までしか伸びません。表面拡散に頼れるかどうかを温度と結合の種類から判断し、EUV 用の Mo/Si 多層膜で成膜中の平滑化が使えなかった理由を考えます。

22 分 標準 式 17 図 4 出典 9

この回の目次(9 節)
  1. §1 「くっついた」には 5 段階ある
  2. §2 物理吸着と化学吸着は、深さが 1 桁離れる
  3. §3 付着係数の温度依存性は、符号が材料で替わる
  4. §4 席がまだらだと、模様もまだらになる
  5. §5 ホップ速度から、離れる距離へ
  6. §6 滞在時間に、2 つの意味がある
  7. §7 この山が塞いだ道:EUV マスクの平滑化
  8. §8 滞在時間が、量産のスペックになっている例
  9. §9 実務での使い方

この回で示すこと

  1. 吸着の深さは物理吸着が約 40 kJ/mol、化学吸着が 400〜600 kJ/mol で、1 桁離れる。
  2. 拡散距離は障壁 20 kJ/mol で 380 µm、200 kJ/mol で 4.8 nm(960 K・1 秒)。
  3. Λ は温度に対して山を持ち、頂点は再蒸発の直前にある。温度を上げて荒れが改善するのは山の手前側だけ。
障壁 20 kJ/mol の拡散距離 380 µm
障壁 200 kJ/mol の拡散距離 4.8 nm
障壁 10 倍での拡散距離の縮み 8 万分の 1

基板温度を上げれば、原子が表面をよく動いて平らな膜になる。だいたいそう教わります。では、どこまで上げればいいのでしょうか。

この問題に、上限がある形で答えが返ってきます。冒頭の言い方は半分だけ正しい。吸着した原子が出発点からどれだけ離れた場所で止まるか——この距離 には最大値があって、そこから先は温度を上げるほど短くなります。最大が来るのは、膜が再蒸発を始める直前です。

は「原子が歩いた道のり」とは別です。ランダムウォークの標準偏差、つまり出発点からの正味の隔たりです。ここを取り違えると桁を間違えます。後で挙げる数字で言うと、障壁 20 kJ/mol・1 秒のあいだに原子は 1.6 兆回跳んでいて、歩いた道のりを足し上げれば 480 m になる。それでも出発点からは 380 µm どまりです。道のりと隔たりが 100 万倍離れるので、以下「距離」と書いたら常に後者を指します。

理屈のあとに、経験のほうから同じ答えが返ってきます。長い は、より平滑で、より均質で、結晶欠陥の乏しい膜をもたらす。したがって、最高の膜質はしばしば再蒸発点のすぐ手前で得られることが、経験的に知られている。

理論から出た曲線の頂点と、現場が経験で見つけた条件が、同じ場所にありました。

図 01
A. 表面拡散距離には最大値がある。それは再蒸発が始まる直前 ln Λ 1/T 高温 低温 再蒸発が始まる直前 ここで膜がいちばん平滑・均質・低欠陥になる 左:脱離領域 埋まる前に飛んでしまう 傾き +(Ec − Es)/2R 右:埋没領域 次の層に埋まって止まる 傾き −Es/2R B. 障壁が 10 倍離れると、離れる距離は 8 万倍離れる 960 K、ホップ距離 a = 0.3 nm、時間 t = 1 s。横軸は対数目盛 8 万倍 1 nm 10 nm 100 nm 1 µm 10 µm 100 µm 1 mm 化学吸着 Es = 200 kJ/mol ks = 2.6×10²/s → Λ = 4.8 nm 物理吸着 Es = 20 kJ/mol ks = 1.6×10¹²/s → Λ = 380 µm ホップ速度の差は 62 億倍。平方根が乗って、距離の差は 8 万倍にとどまる。
表面拡散距離 Λ を温度の逆数に対して描くと、山になります。低温側では次の層に埋まるまでの時間が短く、高温側では埋まる前に脱離してしまう。頂点は再蒸発が始まる直前で、そこで膜がいちばん平滑・均質・低欠陥になります。そして Λ は結合の強さに指数で乗るので、障壁が 10 倍(20 と 200 kJ/mol)離れるだけで、距離は 380 µm と 4.8 nm、8 万倍の開きになります。

「くっついた」には 5 段階ある

まず言葉を分けます。ここを混ぜると、桁で外します。吸着が 1 段で終わらないこと自体は古くから測られていて、Pd(111) 上の酸素吸着について前駆状態の速度論と被覆率依存の付着を追った 1998 年の論文1が、題名で「前駆状態」を掲げています。

蒸気分子が表面へ近づくと、まだ数原子ぶんの距離があるうちから引力を感じ始めます。双極子モーメントを持たぬ対称分子でも、不活性ガスでも、そうなります。分子や原子が振動する双極子としてふるまうため、誘起双極子の相互作用(ファンデルワールス力/ロンドン分散力)が働くからです。永久双極子を持つ極性分子なら、もっと強く引かれる。

分子はポテンシャル井戸を落ちていき、底を過ぎたところで原子核どうしの反発に跳ね返されます。このとき、表面に垂直な運動量が十分に散逸していれば、井戸から出る術が封じられます。弱く捕まったこの状態が物理吸着(physisorption)です。

ここから 5 つの量が出てきます。

記号名前中身
δ捕捉確率近づいた分子のうち、井戸に捕まる割合。捕まらず反射する割合が 1 − δ
β化学吸着反応確率空いている席に当たった蒸気のうち、化学吸着に至る割合
αc凝縮係数到達蒸気のうち、捕捉されたうえで化学吸着まで進む割合。同種材料への吸着(凝縮)にだけ使う
Sc付着係数到達蒸気のうち、実験のあいだ吸着したままでいる割合
η利用率CVD で、供給した化学蒸気のうち膜になった割合

この表のうち、いちばん現場で使われている が、いちばん物理から遠い。 の「実験のあいだ」という期間の取り方は恣意的なので、 や ほどの根本的な意味はありません。後 2 者は化学とエネルギーだけで決まるのに対し、 は測る人が決めた時間に依存します。

それでも が使われるのは、膜に取り込まれる割合そのものだからです。吸着したあと、脱離する前に次の層に埋まった割合。成膜の歩留まりに直結します。

境目の例が 2 つ挙がっていて、どちらも乗ります。

  • 蒸気と固体が平衡にある極限では、 になる。しかし のままである。正味の成膜が止まっても、吸着と脱離は同じ速さで起き続けている。
  • は、 が非常に小さくても 1 に近づける。CVD では分子が反応室内を拡散して、下流へ流れ去るまでに何度も膜面に当たれるからです。1 回あたりの付着率が低いことと、原料が無駄になることは別です。

物理吸着と化学吸着は、深さが 1 桁離れる

物理吸着した分子は、極低温より上なら表面を動けます。深さが 1 桁離れるこの 2 つを分けて測る話は、表面被覆率と温度が付着係数へどう乗るかを追った 1964 年の論文2までさかのぼります。サイトからサイトへ跳ねながら、しばらくして熱分布の裾からエネルギーをもらって脱離するか、表面原子と化学結合を作るか、どちらかへ向かいます。後者が化学吸着(chemisorption)で、新しい分子軌道に電子を共有するので、双極子相互作用だけの物理吸着よりはるかに強い。

両方の状態が存在するとき、物理吸着側を前駆状態(precursor state)と呼びます。

深さの目安が図の縦軸に入っています。物理吸着の井戸が約 40 kJ/mol、化学吸着が 400〜600 kJ/mol。1 桁離れます。

図 02
A. 井戸は 2 つ。深さが 1 桁離れる ポテンシャルエネルギー 気相(E = 0) Ea = Er − Ed 物理吸着(前駆状態) Ed ≈ 40 kJ/mol Ec = 400 〜 600 kJ/mol 化学吸着 表面からの距離 → 井戸の深さが 1 桁離れる。小さいほうが前駆状態 拡散の障壁 Es は 20 と 200。井戸のおよそ半分 移動では結合を部分的に切るだけだから B. 同じ表面で、桁が 3 つ並ぶ 10 100 1000 kJ/mol(対数目盛) Es 20 Es 200 井戸 40 井戸 400〜600 スパッタ 1000 スパッタの到達運動エネルギーは 1000 kJ/mol 化学吸着の井戸 400 〜 600 を桁で上回る だから前駆状態を飛ばして、いきなり 化学吸着へ入れる(直接化学吸着) Es は結合を部分的に切るだけなので、 Ec や Ed よりつねにかなり低い 深さを言わずに「吸着した」と言うと、 桁で外す
表面へ近づく分子は、まず深さの小さい井戸(約 40 kJ/mol)に落ちます。ここが前駆状態で、そこから障壁を越えて深い井戸(400〜600 kJ/mol)へ入るのが化学吸着です。深さが 1 桁離れるので、同じ「くっついた」でも寿命がまるで別。拡散の障壁 Es が 20 と 200、つまり井戸のおよそ半分で済むのは、移動では結合を部分的に切るだけだからです。

この 2 状態モデルは、ほぼすべての蒸気-表面の組み合わせで区別できるので、表面過程を分析する枠として長く使われてきました。不均一触媒、薄膜成膜、分子蒸気の凝縮。単原子蒸気の凝縮でさえ 2 状態を取りうるという理論があって、Al の場合の前駆状態は Al-Al 二量体、その二量体結合のせいでバルク Al への結合が妨げられている、という話が紹介されています。

だから As₄ のような分子蒸気では、化学吸着で固相に完全に取り込まれるまで、凝縮したとは数えない。

前駆吸着の実例が 5 つ並んでいます。この 5 つは、あとで核生成の話につながるので大事です。

  1. 多くの CVD 反応。供給蒸気はまず分子として吸着し、そのあとで分子内結合を切って膜表面へ新しい結合を作る。
  2. 各元素を別々の蒸気源から供給する化合物成膜。吸着する蒸気は、相手の元素が占めているサイトへはるかに強く結合する。Zn(g) + Se(a) → ZnSe(c)、Se(g) + Zn(a) → ZnSe(c)。
  3. H の原子層で不動態化された Si。反応するのは H が欠けている少数のサイトだけ。H が付いたサイトの上では、吸着種は物理吸着のままでいる。
  4. 原子レベルで平坦な表面。結合が強いのは原子ステップのところ。
  5. 反応性の低い金属。非金属基板よりも、別の金属原子が居るサイトにずっと付きやすい。

付着係数の温度依存性は、符号が材料で替わる

の式を、質量収支から追います。ここは導出が短くて、結論が実務的です。実測の側では、ポリシリコン上のシランとジシランの反応性付着係数を測った 1988 年の論文3が、CVD 原料ガスについてこの量を直接出しています。

前駆体について定常状態の収支を書きます。到達フラックス のうち捕まるのは 、しかも既に吸着種が占めている面積 の上は素通りするとします。

左辺が入ってくる量、右辺が化学吸着で消える量と脱離で消える量です。これを解いて化学吸着速度へ代入すると、

の極限が です。だから が小さいうちは だが、 が大きくなると になる。ここは分けて使ってください。

速度定数はアレニウス形なので、

ここに全部が入っています。 は が小さいほど大きい。そして

  • (活性化された化学吸着)なら、 を上げると が増える。
  • (活性化を経ぬ化学吸着)なら、 を上げると が減る。

符号が材料と表面で決まります。「加熱すれば付きやすくなる」という一般則は成り立ちません。前者の代表がシランからの Si で、高温では析出し、室温では析出を起こさない。ただし を上げすぎると Si 自身の蒸発フラックス が を超えるので、正味は

反応の活性化と再蒸発のあいだに、 の窓があります。この「窓」の形が、あとで出てくる の山と対になります。

到達エネルギーを上げると、前駆状態を飛び越える

蒸気のポテンシャルエネルギー を上げる方法が 2 つあります。気体分子なら解離させること、固体・液体なら蒸発させること。

が十分高ければ、前駆状態を飛ばして直接化学吸着が起きます。表面の化学の言葉では、入ってくる分子が表面サイトや吸着種と直接反応するのが Eley-Rideal 機構、表面種どうしが反応するのが Langmuir-Hinshelwood 機構です。

エネルギー付与型の成膜の主な利点が、まさにこれだと書かれています。到達分子が の障壁を越えて、いきなり化学吸着状態へ入れる。

数値が 1 つ挙がっています。スパッタ成膜では、到達する粒子の運動エネルギーが 1000 kJ/mol 程度。化学吸着の井戸が 400〜600 kJ/mol でしたから、桁で上回っています。プラズマ CVD なら、プラズマ中で分子が解離してポテンシャルエネルギーの側から障壁を越える。

同じ を、運動エネルギーで払うか、位置エネルギーで払うか。これがエネルギー付与型プロセスの正体です。

副作用として密着性が上がる、とも書かれています。スパッタ膜が熱蒸着膜より密着しやすいのは、吸着種と基板の結合を活性化しているから。

席がまだらだと、模様もまだらになる

上の計算は「表面のどのサイトも同じ速度定数を持つ」と仮定していました。実際にはそこからずれます。席の不均質さを逆に使った例が、イオン注入した Si(100) 上へマイクロ波プラズマ CVD でダイヤモンド膜を選択的に成膜した 1992 年の論文4です。注入で作った席だけに核が立つので、パターンが描けます。

になるのが、特定の活性サイト(核生成サイト)か、自然に溜まった膜材料の核の上だけという場合があります。先の 5 例のうち (3) と (5) は がそこで低いから、(2) と (4) は相手元素のサイトと原子ステップだから、そこでだけ化学吸着が起きる。

(2)〜(4) の型では、核生成を利用することで粗さと欠陥の乏しい膜が作れます。前駆体が「自分自身より表面に付きやすい」側だからです。

逆の型が問題になります。前駆体が表面よりも自分自身に付きやすい場合。例に挙がっているのが、ガラスや NaCl・CaF₂ のようなイオン結合性の基板の上の Zn と Cd です。基板を構成する元素どうしの結合が強いせいで、金属が化学結合する活性化エネルギーが非常に高い。金属は物理吸着のまま留まり、そこから簡単に脱離してしまう。他の吸着金属原子に出会って核を作れたときだけ、生き残る。

結果として、バルクの Zn や Cd が蒸発し始める温度よりずっと低い室温でも、島状の堆積と素地のままの領域が入り混じった「まだら(splotchy)」の膜になります。

同じ Zn で、正反対の 2 例が並んでいるのがこの節の見どころです。Se で覆われた面に載る Zn は、自分自身よりも表面に強く結合する。ガラスに載る Zn は、はるかに弱く結合する。一般化が乗ります。異種表面へ吸着した種の再蒸発速度は、その種が純粋なバルクでいるときの蒸発速度とは、たいてい桁で異なる。支配しているのは異種表面との相互作用の強さだからです。

この性質は、両側とも工程として使われています。異種表面への吸着が速いことを使うのが原子層エピタキシー。遅いことを使うのが選択成長。

図 03
A. 同じ Zn が、下地しだいで正反対になる 自分自身より表面に強く結合 Zn が連続膜になる Se で覆われた面 Zn(g) + Se(a) → ZnSe(c) 吸着が速い → 原子層エピタキシー 自分自身より弱くしか結びつかぬ ガラス・NaCl・CaF2 他の Zn に出会えたときだけ生き残る 吸着が遅い → 選択成長。島状のまだら 支配しているのは下地との相互作用の強さ。バルクの Zn が蒸発し始める温度よりずっと低い室温でもまだらになる B. ダイヤモンド CVD は、エッチピットの縁だけで育つ 成膜速度 速い ゼロ エッチピット 縁にだけ核 Si 基板 核の上では速く、それ以外はゼロ 席の数より、その席の Er が左右する H2 中 1% CH4、4000 Pa 基板の 8 mm 上に約 2000 °C の Ta フィラメント 基板 900 〜 1000 °C 1995 年の時点で、なぜそのサイトだけで 核生成するのかは分かっていなかった
同じ Zn でも、Se で覆われた面には自分自身より強く結合するので連続膜になり、ガラスや NaCl の上では弱くしか結びつかぬので、島と、素地のままの領域が入り混じったまだら膜になります。左右しているのは Zn 自身の蒸気圧より下地との相互作用なので、下段のダイヤモンド CVD のように、席が 4 か所しかなければ膜もその 4 か所だけで育ちます。席の数より、その席の Er を添えて初めて反応速度が読めます。

ハイブリッドボンディングでダングリングボンドが多いほうの膜で接合が弱く出るという観察も、この「席の質」の問題の一種です。席の数を数えても、その席の が分からなければ、反応速度は予測できません。

もう 1 つ極端な例がダイヤモンド CVD で、Si 基板のエッチピットの縁にだけ核が育ちます。核の上での成膜速度は高く、それ以外ではゼロ。条件は H₂ 中 1% の CH₄、4000 Pa、基板の 8 mm 上に約 2000 °C の Ta フィラメント、基板は 900〜1000 °C。なぜそのサイトだけで核生成するのかは、1995 年の時点では未解明でした。

ホップ速度から、離れる距離へ

ここから表面拡散です。絶対反応速度論で式を作ります。実測の側は、Si{100}(2×1) 面上の Si アドアトム拡散で表面再配列の動きを追った 1991 年の論文5や、Ge アドアトムの表面拡散係数と活性化エネルギーを測る手法を出した 2004 年の論文6が担っています。この方法では拡散速度の定量的な見積もりまでは届かぬが、何が速度を左右しているかは分かる、という前置き付きの導出です。

吸着種が座っている井戸の深さは、位置によって周期的に波打っています。サイトとサイトのあいだにある山の高さが 、山の頂上が遷移状態です。六方最密の表面格子なら、吸着サイトは 3 つの表面原子が作る三角形の中心で、遷移状態はそのあいだの鞍点になります。

分配関数を測っていくと、最後にこうなります。

は、吸着分子 1 個が隣のサイトへ跳ぶ頻度です。前指数因子が で、960 K で s⁻¹。

ここに、いちばん実務的な注意が入ります。 は吸着種の振動数 とは別です。文献ではしばしばそう書かれるが、それが成り立つのは の場合だけで、通常の温度ではそこからずれます。実際には、化学吸着サイトから物理吸着サイトへ移るような場合、遷移状態で並進成分が 1 つ余分に増えることがあり、そのぶん が最大で 倍上がる。

したがって は から まで動きうるので、単純に と仮定するのは避ける。よく行われているが、と付け加えられています。

ランダムウォークで距離に直す

跳ぶ頻度が分かっても、出発点からどれだけ離れるかは別です。各ホップが前後どちらにも等確率なので正味の移動の期待値はゼロですが、時間が経つほど出発点から遠くで見つかる確率が上がる。ホップ数 なら、分布は出発点を中央値とするガウス分布になります。その標準偏差を拡散長 と見なして、

はホップ距離です(格子の幾何因子は 1 と近似)。

数値例が、この記事の主張そのものです。 K、 nm、 s。

状態Es (kJ/mol)ks (s⁻¹)Λ
物理吸着201.6 × 10¹²380 µm
化学吸着2002.6 × 10²4.8 nm

J/mol なので、

元の値と合います。200 kJ/mol 側も同様に 、 nm。4 つの数値が互いに自己整合しているので、この節は信用して読めます。

10 倍と 8 万倍

比を式で追います。 なので、

障壁は 10 倍どまりなのに、距離は 8 万倍離れます。

ここに気持ちのいい副産物があります。ホップ速度のほうの比は 、62 億倍です。平方根が乗って、距離の差は 8 万倍まで圧縮されている。ランダムウォークは、速度の差を距離の差に翻訳するとき、指数を半分にします。

380 µm は薄膜の凹凸の寸法に対して桁で大きく、4.8 nm は原子径の数十個ぶんどまり。同じ「表面拡散」という言葉で、装置スケールと原子スケールの両方が指されています。結合状態を言わずに「表面拡散が乗る/乗らない」と言っても、中身が空なのと同じです。

文献の D を、成膜で欲しい Λ へ 1 行で渡す

拡散の実験論文が報告するのはたいてい拡散係数 (cm²/s)で、成膜で欲しいのは です。そこは書かれています。 は吸着種の拡散実験に出てくる量、 は薄膜成膜で関心のある量。

橋渡しは輸送式の形に直せば済みます。平均自由行程がホップ距離 、平均速度が に対応するので、

これを として へ入れると、 が消えます。

ホップ距離を知らなくても、 と滞在時間だけで が出ます。検算すると、 kJ/mol の例は cm²/s、 cm m。合います。

触媒の文献値を薄膜へ持ち込むときの換算式として使えます。ただし出所は選んでください。表面拡散の の測定の大半は、薄膜成膜より不均一触媒の系で行われています。触媒の測定は多くが吸着質で覆われた表面・雰囲気あり・数百 °C の定常状態で、成膜の清浄表面・真空・過渡とは条件が別。同じ記号でも、別の表面の値です。

使ってよい/悪いの線を引くと、こうなります。

用途触媒由来の 理由
桁を追う(nm か µm か)使える指数の中身が乗るので、係数が数倍ずれても桁は変わらない
温度依存の向きを追う使える は表面の素性で決まり、被覆率の影響を受けにくい
絶対値をスペックにする封じられる被覆率と雰囲気で が 〜 の範囲で動く

桁と向きは借りてよく、絶対値は借りずに済ませる。これが実務での持ち込み方です。

滞在時間に、2 つの意味がある

の を、上では 1 秒と勝手に置きました。実際の は成膜条件で決まり、しかも 2 通りあります。どちらを取るかで、Ge アドアトムの表面拡散係数と活性化エネルギーを測る手法6のような測定が何を返すかも替わります。

低温側:埋没時間。吸着してから次の単分子層に埋められるまでの時間です。

は吸着サイト密度、 は成膜フラックス。入れると

ここから、現場ですぐ使える関係が 1 つ出てきます。。成膜レートを 4 倍にすると、拡散長は半分になります。レートを上げると膜が荒れるという経験則の、指数まで含めた形です。

を に対して描くと、傾き の直線になります。温度を上げるほど が伸びる領域。

高温側:脱離寿命。温度が上がって再蒸発が無視できなくなると、拡散種は埋められる前に飛んでいきます。このとき は吸着寿命そのもので、化学吸着状態からの脱離だけを考えれば

はつねに正です。 は結合を部分的に切るだけ、 は完全に切るからで、ここが強調されています。だから傾きが逆転して、 に対して正になる。温度を上げるほど が縮む領域。

2 本の直線が向かい合うので、山が立ちます。頂点は、再蒸発が乗り始める直前。

は corrugation ratio と呼ばれることがあり、金属のほうが半導体より低いと書かれています。結合に方向性が無いからです。同じ温度でも、金属膜のほうが半導体膜より が伸びやすい。

用語について一言。corrugation は波板(corrugated iron)の corrugation で、表面ポテンシャルの凹凸の深さを指します。定着した訳語が無いため英語のまま使います。原文も「*The ratio is sometimes known as the corrugation ratio*」で、英語圏でも標準用語とは別です。論文検索でこの語だけを頼りにすると取りこぼします。

数値例と照らすと整合します。図の縦軸では物理吸着の井戸が約 40 kJ/mol、化学吸着が 400〜600 kJ/mol。拡散の例に使われた は 20 と 200 で、どちらも井戸の深さのおよそ半分。「 は脱離の活性化エネルギーよりつねにかなり低い」という記述と合います。

この山が塞いだ道:EUV マスクの平滑化

理屈の話をここまで引いたのは、この山の形が、ある産業的な失敗をきれいに解けるからです。

EUV のマスクブランクは、ガラス基板の上に Mo 約 3 nm と Si 約 4 nm を交互に 40 対積んだものです。問題は、ガラス基板表面の小さな粒子やピットが、多層膜を貫いて位相欠陥として伝わること。

自然な発想が出ます。成膜で埋めてしまえばいい。表面拡散が長ければ、凹凸は平される。長い は平滑な膜を作る、という前半の結論そのものです。多層膜の界面そのものを作り込む試みは、EUV 多層膜ミラーの界面を設計した 2006 年の論文7が題名に掲げています。

実際、イオンビーム成膜で基板欠陥を平滑化できるというデータはあります。しかし結論はこうです。高い反射率を出し、しかも新たな欠陥を作らずに済む成膜は、たいていコンフォーマルである。したがって、成膜中の平滑化は欠陥低減の手として有用であることは未実証のままです。

コンフォーマル = 基板の形をそのままなぞる = が短い、ということです。高反射率と平滑化は両立しません。

の山を思い返すと、伸ばすつまみは 3 本だけです。

つまみ働き方Mo/Si での代償
基板温度を上げる山の左側へ動く。頂点まで Λ が伸びるMo と Si が約 150 °C から混ざり始める
到達エネルギーを上げる直接化学吸着が増え、吸着種が動けるイオンビーム成膜で平滑化のデータはあるが、高反射率と両立しかねる
成膜レートを下げるΛ ∝ Jr の −1/2 乗で伸びる生産性が落ち、40 対ぶん積み上がる

温度の道は、150 °C の相互拡散が塞いでいます。相互拡散こそが、多層膜の反射率が理論値へ届かぬ理由の一部として名指しされているものです(層の密度と均質性、界面粗さ、そして層間拡散)。TEM で測ると Mo と Si の境目は鋭くなく、混合層があり、しかも Mo の上の Si と Si の上の Mo とで混ざり方が替わる。

「平らにするために動かす」と「混ざりを避けるために動かさない」が、同じ温度というつまみを取り合っています。業界が平滑化より、欠陥の乏しいブランクを作る側と、パターンシフトで欠陥を吸収体の下に隠す側へ倒したのは、この取り合いに勝てなかったからだと読めます。

図 04
A. 平滑化できる温度と、界面が保てる温度が開いたまま 界面が保てる Λ が平滑化に足りる どちらの条件からもずれる 両立する窓が無い 0 °C 150 °C 250 °C 400 °C Ts Mo と Si が混ざり始める B. 選ばれた側(左)と、選べなかった側(右) コンフォーマル成膜(Λ が短い) 界面は鋭い。反射率は出る 基板 突起が 40 対を貫いて位相欠陥になる 平滑化成膜(Λ を伸ばす=150 °C 超) 平らにはなる。界面が混ざる 基板 混合層ができて反射率が落ちる
温度を上げれば Λ が伸びて凹凸は平される。しかし Mo/Si は約 150 °C から混ざり始めるので、平滑化に足りる温度と界面が保てる温度が開いたままです。窓が無い、というのがこの節の結論です。下段は、その帰結として選ばれた側(コンフォーマル成膜)と、選べなかった側(平滑化成膜)で多層膜がどうなるかの模式図です。

ちなみに、その反射率がどれだけ乗るかも書かれています。投影光学系 6 枚、照明系 3 枚、反射マスク 1 枚で、光源からウェーハまでに 10 回反射する。各層が 70% の系は、68% の系よりウェーハ面で 33% 以上明るい。2 ポイントの差が、そう乗ります。反射が 10 回あるからで、1 枚あたりのわずかな差が指数で積み上がります。

滞在時間が、量産のスペックになっている例

もう 1 つ、教科書的な「吸着寿命」がそのまま現在の工程仕様として顔を見せる例があります。

D2W のハイブリッドボンディングには Q 時間(queue time)という管理項目があります。プラズマ活性化と純水リンスから接合までの待ち時間で、D2W は W2W より長くなる。

D2W ハイブリッドボンディングの待ち時間を接合強度の精密測定で追った 2025 年の報告8の結果がこうです。Q 時間が延びるほど、接合エネルギーが下がる。基準に使われているのは Q 時間 1 時間未満のサンプルです。

原因の追い込み方が、まさに脱離の話でした。水(質量数 18)の昇温脱離分光(TDS)を測ると、表面吸着水が典型的に脱離する 150〜250 °C の範囲で、Q 時間が長いサンプルほど脱離水量が小さい。結論は明快で、Q 時間による表面水の減少(おそらく蒸発による)が、接合強度を弱めている。

待っているあいだに、前駆体が飛んでいる。前半で見たとおり、物理吸着した分子は熱分布の裾からエネルギーをもらって脱離します。Q 時間 1 時間という工程スペックの正体は、室温での脱離寿命です。

表面の状態も分光で分解されていて、階層が浮かびます。3750 cm⁻¹ が自由な(水素結合の相手が無い)孤立 OH、約 3700 cm⁻¹ への低波数シフトが水素結合した OH ネットワークの形成、さらに低波数側が表面吸着した水。SiCN では未活性化だと OH 関連のピークが SiO₂ に比べてかなり弱く、プラズマ活性化後に OH と水のピークがはっきり出ます。SiCN 側には 3400 cm⁻¹ 付近にアミン(NH)由来のピークもある。

結合の強い席(化学吸着した OH/NH)と、弱い席(水素結合ネットワーク、その上の物理吸着水)が、波数で割れて表に出ているわけです。前駆体モデルの絵が、そのまま分光になっています。

ここで面白いのは、プラズマ出力を上げても頭打ちだったことです。微細ピッチ向けに SiCN のボンドウェーブを解析した 2025 年の報告9によれば、N₂ でも O₂ でも、100 W と 400 W で全表面自由エネルギーはほぼ同じ。ボンドウェーブ速度も 50 W・100 W・400 W でほぼ同じ。接着エネルギーも変わらない。席を作る操作は飽和していて、効いているのは席を作ったあとの時間のほうでした。

接合後アニールを入れると差が消えます。アニールなし、あるいは 150 °C では W2W と D2W の接合エネルギーに大きな差が出るのに、より高い温度では両者がほぼ同じになる。吸着水の量で決まっていた初期の差を、熱で入れた化学吸着が上書きしている、と読めます。

古くから定式化されている吸着寿命が、いまの量産ラインでは「Q 時間 1 時間」という札になっている。物理は同じです。名前が替わっただけです。

実務での使い方

温度を上げてもラフネスが良くなるとは限りません。これがこの記事でいちばん実務へ乗る一文です。

現場の常識は「荒れたら基板温度を上げる」です。 が伸びて凹凸が平される、という理屈は正しい。ただしそれが成り立つのは山の右側(埋没領域)にいるあいだだけです。頂点を越えて脱離領域に入ると、温度を上げるほど は縮み、同じ操作が逆に乗ります。しかも頂点は「再蒸発の直前」、つまり膜質がいちばん良くなる点のすぐ隣にあるので、うまくいっている条件ほど、あと一押しで反転する側に近い。

だから 2 点で外挿するのは避けてください。200 °C と 250 °C で良くなったから 300 °C はもっと良い、とは言えません。温度を振るときは 3 点以上取って、山を越えたかどうかを毎回確かめる。

付着係数のほうも、温度だけでは符号が決まりません。表面被覆率と温度が付着係数へどう乗るかを追った 1964 年の論文2が題名で並べている 2 つの変数は、いまも同じ形で乗ります。温度を振るなら、 と の両方が動くと思って条件を組んでください。

そのうえで、「表面拡散が足りない」という一言からは、処方が決まりません。定めるのに要るのは 3 つです。

要るもの何が動くか
(障壁)桁が決まる。20 kJ/mol なら 380 µm、200 kJ/mol なら 4.8 nm。8 万倍離れる
(基板温度)山のどちら側にいるかが決まる。温度を上げる/下げるの符号がここで決まる
滞在時間 埋没時間なら成膜レートで買える()。脱離寿命なら手が届かない

が分からなければ、温度を上げるべきか下げるべきかが決まりません。 の正体が分からなければ、レートを落とすという代案が使えるかどうかが決まりません。「表面拡散が足りない」は症状であって、この 3 つが揃って初めて処方になります。

成膜レートは に で乗ります。荒れたらレートを落とす、は正しい。ただし 4 倍落として距離が 2 倍どまりなので、スループットとの交換レートは悪いと知っておく。

付着係数が温度でどちらへ動くかは、材料が決めます。 なら加熱で増え、 なら加熱で減る。実測で符号を確かめてから、温度を触ってください。

と は分けて使ってください。1 回あたりの付着率が低くても、CVD なら原料利用率は 1 に近づけます。歩留まりの筋と原価の筋で、使う量が別です。

平滑化を成膜条件で買おうとする前に、その温度で膜が無傷のままか確かめてください。Mo/Si は 150 °C から混ざります。 を伸ばすつまみと、界面を保つつまみが同じ温度だった場合、平滑化の道は最初から無い。

「待ち時間」は工程パラメータです。吸着した前駆体には寿命があります。Q 時間 1 時間という札は、装置の都合より脱離の物理です。

ここで出てきた は、そのまま計器の誤差要因にもなります。水晶振動子が受け取るのは「基板に着く量」より「振動子に着く量」で、両者の温度が別なら も別で、受け取る量が別です。この記事で を伸ばすために温度を上げたぶん、レート計の読みがずれる。同じ 1 つのつまみが、膜質とメトロロジの両方を動かしています。

出典

  1. 1 Adsorption of oxygen on Pd(111): Precursor kinetics and coverage-dependent sticking (1998) doi:10.1116/1.581216
  2. 2 Effect of Surface Coverage and Temperature on the Sticking Coefficient (1964) doi:10.1063/1.1725409
  3. 3 Buss ほか, Reactive sticking coefficients for silane and disilane on polycrystalline silicon (1988) doi:10.1063/1.340982
  4. 4 Lin ほか, Selective Deposition of Diamond Films on Ion-Implanted Si(100) by Microwave Plasma Chemical Vapor Deposition (1992) doi:10.1149/1.2069062
  5. 5 The dynamics of surface rearrangements in Si adatom diffusion on the Si{100}(2×1) surface (1991) doi:10.1063/1.461500
  6. 6 A technique for the measurement of surface diffusion coefficient and activation energy of Ge adatom (2004) doi:10.1063/1.1711175
  7. 7 Yulin ほか, Interface-engineered EUV multilayer mirrors (2006) doi:10.1016/j.mee.2006.01.126
  8. 8 Yuki ほか, Assessing Queue Time in D2W Hybrid Bonding Through Precise Bond Strength Measurements (2025) doi:10.1109/ectc51687.2025.00154
  9. 9 Sato ほか, Bond Wave Analysis of SiCN for Fine Pitch Hybrid Bonding (2025) doi:10.1109/ectc51687.2025.00350